【所在地】東京都板橋区高島平
高島平団地は1972年に造成された日本屈指のマンモス団地で、当時の “団地ブーム” の先駆けとなり、庶民の憧れの象徴であった。
地上の楽園から自殺の名所に
オイルショックの際にも高島平団地は入手困難であったトイレットペーパーがいち早く支給された。
そんな地上の楽園とも言われた高島平団地はいつしか不名誉な事で有名になってしまう。
事の発端は1977年。
高島平団地で親子3人が飛び降り自殺をしたことがメディアを騒がせた。
マスコミの報道もあり人生終焉の地に高島平団地を選ぶ人が増え、1980年に自殺者数は133人にも上った。
これには当時、確実に死ねるような高層建築物が身近になかった事が要因の一つとしてあげられる。
それからというのも高島平団地よりも高い建物が次々と建設されて、高島平団地での自殺は減っていった。
現在でも団地の至るところに鉄柵が設置され、どこからも飛び降りができなくなっている。
平和を取り戻す街
昨今の高島平団地は入居者の高齢化が深刻となっており、お年寄りと海外留学生を交流させるプロジェクトなどが大学により行われている。
マンモス団地というのもあって、入り口には商店街や公園などがあり街路樹も青々として鳥の囀りも聞こえてくる現在の高島平団地。
自殺の名所とはもう遠い昔の話になっているようだ。
余談だが元SMAPの稲垣吾郎は高島平団地の出身である。
0コメント