【所在地】三重県津市高洲町
津市中心部から程近い海岸。
この海岸では過去に曰く付きの事故が発生している。
橋北中学校水難事故
1955年7月28日。
この日、津市の橋北中学校の女生徒達が中河原海岸で遊泳のテストを行なっていた。当時は終戦10年目という事もあり学校にプールは無かったため、海で行われる事が殆どであった。
テスト開始から僅か2~5分後、悲劇は発生した。
テストを受けていた生徒の半数近く、100名以上が一斉に海に溺れた。
当時の朝日新聞より
三重県内の組合や病院が総出で動き、最終的に溺れた生徒のうち49名を救助したものの36名は手遅れであったという。
異界の者が引き摺り込んだ?
この事故は裁判で「異常流(離岸流)」が原因とされ、今日に至るが、そうだとしても明らかにおかしな点があり過ぎた。
また、事故に遭った生徒は口をそろえ、
- 黒い塊りが迫ってきた
- 防災頭巾を被ったモンペ姿の女性を見た
- 無表情のモンペ姿の女が皆を海底に引き摺り込んだ
などと証言している。
しかも事故が発生した7月28日、この日は奇しくも10年前に津が米軍の空襲を受けた日であった。
空襲により火葬場が壊滅した津の街は、身元の分からない死体を中河原海岸に埋めたという記録があり、その無縁仏の数は36名という、死んだ生徒の数と一致していた。
現在も橋北中学校は現役であり、毎年慰霊の行事が行われているという。
浜辺には供養塔が建立され、今日に至っている。
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